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伊達 公子

伊達 公子(ダテ キミコ)

プロテニス選手

[カテゴリ]:著名人

講演タイトル

伊達公子が感じた国際協力

プロフィール

1970年生まれ、京都市出身。
小学校1年生時からテニスを始める。88年、兵庫の園田学園高等学校3年時に全国高校総合体育大会(インターハイ)でシングル・ダブルス・団体で3 冠達成。89年卒業と同時にプロテニスプレーヤーに転向する。89年全豪オープンでグランドスラム(世界4大大会)初のベスト16入り、93年全米オープンベスト8入りと実績を伸ばす。
94年NSW オープン(シドニ-)で海外ツアー初優勝後のWTA(女子テニス協会/Women's Tennis Association)世界ランキングでは、日本人選手として初めてトップ10入り(9位)をする。95年、WTA ランキング4位まで上昇。現在でもこれが日本人選手の最高位である。
96年4月、有明コロシアムでのフェド杯では当時世界1位だったシュテフィー・グラフを破る大金星を挙げる。同年7月、ウィンブルドンでもグラフと決勝進出をかけて対戦。第1セットはグラフ、第2セットは伊達が取り勢いづいていたが、2セット終了時点で日没となり第3セットは翌日に持ち越された。第3セットはグラフが6-3で取り、日本人初のグランドスラム決勝進出はならなかった。8月にはアトランタ五輪でベスト8入り、11月にはWTAツアー選手権最終戦チェイス選手権に出場。2回戦で当時16 歳だったマルチナ・ヒンギスと対戦するが敗退。この試合を最後に引退する。94 年から96 年の引退までの期間はWTAランキングトップ10を維持した(引退時のランキングは9位)。
引退後はコメンテーター、執筆、JICA(国際協力機構)のオフィシャルサポーター、子供を対象としたテニス教室を全国で開催するなど多方面で活躍した。2001年ドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルムと結婚。本名がクルム伊達公子となった。
2008年4月、37歳にして現役復帰宣言をする。選手登録名を伊達公子からクルム伊達公子に改めた。
同月復帰後初戦となるカンガルーカップ国際女子オープンで準優勝、6月の東京有明国際女子ではプロ復帰後初優勝を果たし健在ぶりを示した。そして11月には全日本テニス選手権に出場し、16年ぶり3度目の優勝。全日本テニス選手権で38歳での優勝は45年前に41歳で8連覇を達成した宮城黎子に次ぐ年長記録である。同大会ではダブルスでも17年ぶりの優勝を飾る。

メディア出演・書籍・論文等

著書: 『パートナーピラティス/共著 ミハエル・クルム』(講談社) 『いつも笑顔で』(マガジンハウス) 『幸せのワークアウト!』(講談社) 『キッズテニス』(岩波書店) 『In & out伊達公子』(新潮社) 『ラストゲーム』(日本文化出版) 『晴れのちテニス』(日本文化出版)

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